《TOFU magazine 旅する岐阜 22》/【七宗町】神渕神社 禰宜 岸裕文
「TOFU magazine 22」に掲載した特集記事をご紹介しています。
岐阜県の42市町村を1号につき一つずつめぐる特集「旅する岐阜」。第22回は七宗町を訪れました。
《旅する岐阜22 Hichisou 》
七宗の人々に守られ続けてきた
天王山の頂に建つ神渕神社
加茂郡七宗(ひちそう)町は面積の約9割を山林が占め、飛騨川や神渕(かぶち)川、その支流沿いの平地に集落が点在する人口約3500人の小さなまちだ。
古くは御佩(みはぎ)山と呼ばれた天王山の麓にある小さな鳥居を抜け、杉木立に囲まれた細い参道を慎重に上っていく。やがて、標高532メートルの山頂近くに辿り着くと、立派な朱塗りの鳥居が現れた。
672年の壬申(じんしん)の乱で、天武天皇が十拳剣(とつかのつるぎ)とご神鏡を奉納し戦勝を祈願したと伝えられる神渕神社。樹齢800年余を数える大杉がそびえる境内は静かで、深呼吸をしたくなるほどに清々しい空気に満ちていた。
「出雲から須佐之男命(すさのおのみこと)のご神霊(しんりょう)を持って先祖がこの地に移り住み、宝亀元年の770年にこの神社が始まったといわれています」。
71代目宮司の伯父に次ぐ神職である禰宜(ねぎ)を務めている岸裕文さんは、代々、神渕神社の宮司を務めてきた家系に生まれ、物心ついた頃からいずれ宮司を継ぐことを自然に受け入れていたという。岐阜大学教育学部に進学し、在学中に岐阜県神社庁が実施する講習会に参加して、神職資格を取得した。
「講習会では2カ月ほど神社庁の施設に泊まり込み、神社の歴史やお参りの仕方、さまざまな学問、細かな作法をしっかり学びました。たとえば、お辞儀は何秒するか、歩くときの足の出し方や引き方、正座をしながら進む所作なども、すべて決まっているんです」。
大学卒業後、岸さんは七宗町役場に就職。現在も役場に勤めながら、禰宜として神社に奉仕している。
「400年ほど続く伝統のある春の大祭が一番大きな神事です。9つの地区が当番制で準備にあたり、当日に舞いや神楽などを披露します。鼓や太鼓、稚児、巫女、行列の旗や笠、神輿(みこし)や山車。とにかくいろんな役があるので、みなさん総出です」。
ほかにも、各地区の氏子総代(うじこそうだい)が中心となり、境内の掃除をはじめ、建物の修復や休憩所の建設といった維持管理が行なわれている。そんな1250年以上もの歴史を持つ神社を神官として守ることにプレッシャーを感じることはないですかと尋ねると、岸さんはにこやかに答えた。
「いえ、ないですね。なぜなら、この神社は私が守っているのではなく、地域のみなさんが守っているからです。そして、私もその地域の一員だということです」。
穏やかな口調や人柄にも、神官としての素養が表れるのだろう。岸さんにお話を伺っていると、時間がゆっくりと流れていくような心持ちがする。
境内はひときわ静かで、荘厳な空気に包まれていた。「この神渕神社は、地域のみなさんの誇りなんです」。
毎年4月14日に近い日曜日に行われる「神渕神社大祭」。神事の後、やまたのおろちを模した黒獅子が境内を舞い狂い、神輿や山車が曳き出され、神楽が繰り広げられる。
神渕神社
加茂郡七宗町神渕4168-1
TEL.0574-48-2291 (七宗町役場企画課企画振興係)
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