【INTERVIEW】おもしろ人生クリエイター ニッシーさんってどんな人?<前編>
2017年11月24日(金)にKAKAMIGAHARA STANDにてさかだち談話室第一夜「ためにならない就活論」を開催します。
学生から社会人になるときにだれもが直面する「就活」という問題。
当日トークの聞き手役を務めてくださるのはニッシーこと西田知佳さん。
“はたらく”に関する様々なことを生業にされており、これまでに1000名以上の転職相談や、就職相談に応えてきた就活のプロです。
そんな頼もしいファシリテーターのニッシーさんは一体どんな方なのでしょうか。
当日は聞き手役ということであまりニッシーさん自身のお話をお聞きする時間がありません。それでは勿体無いということで、イベントに先駆け、インタビュー取材をさせていただきました!
<前編>ではニッシーさんご自身の就職活動や、今年フリーランスとして独立されるまでの経歴を中心に、
<後編>では普段のお仕事の様子やイベントへの意気込みをお届けします。
「就活は1社のみ。早く社会に出たかった。」
杉田:ニッシーさんは今年、フリーランスとして独立されたそうですが、ニッシーさんご自身の就職活動や今に至るまでどんなことをされてきたのかが気になります。
西田:実は私、大卒ではないんですよ。一人っ子一人娘なので、小さい時から親が「医者になれ」とかうるさくて。親に与えられたレールの上を歩くのがとにかく嫌だった。1年でも早く自立したかったんです。自分で言うのもなんですが(笑)、中学・高校はわりと進学校だったんですけど、大学は受験せず、専門学校で遺伝子工学を勉強していました。
杉田:進学校で大学受験をしないというのは肩身が狭くなかったですか?
西田:担任の先生に何回も呼び出されて「大学行け」と言われましたよ(笑)。最終的にはなんとか理解してもらえましたけど。で、専門学校に行ってわかったことは、じっとしているのがとにかく苦手だということ(笑)。
杉田:わかるような気がします(笑)。
西田:実験結果出すのに2時間じっと待ってるとか……耐えられず。それで研究職は向いてないと思ったんですよね。じゃあ他にどんな仕事があるのかなと学校で掲示されている求人を見たけど、行きたいところがちっともなかった。結局、就職サイトから自分で探してメーカーを受けました。しかもそこでありがたいことに内定をいただけて、就職することになりました。
杉田:え! じゃあ就活は1社しかしていないんですね!
西田:そうなんですよ。記念受験のつもりだったし、先生にも、さすがに外資系メーカーは受からないと言われていたので、正直決まるとは思っていなかった!
杉田:ご自身の就活は意外とあっさり終わった感じなんですね。働くことに対して悩んだりはしませんでしたか?
西田:うーん……研究職が向いてないとわかった時悩みかけましたけど、働いたことがないからどうせわからないし、いろんな会社受けてみようとポジティブになりました。だからちゃんと情報収集して選択することを今も大切にしているのかも。
杉田:営業職として社会人をスタートさせたそうですが、どうでしたか?
西田:最初に出会った上司に恵まれていました。20歳のわたしを社会人として育ててくれた母のような存在です。今でも1年に1回会うくらい仲良し。その時は技術営業という仕事だったんですが、技術営業というのは特定の商品を狭く深く営業していくような内容で、普通の営業とはちょっと違うかな。だからお客さんとの関わりが深かったというのが良かったです。そんな感じで5年くらい働きました。
「自身の転職相談をきっかけに人材業界へ。そして、うどん屋の女将に!!」
杉田:ご自身が転職相談をしたことをきっかけに、ニッシーさんの人材のキャリアが始まるんですよね。
西田:そうなんです。某大手人材サービスの会社に転職相談に行ったんですけど、自分としてはミスマッチな仕事しか紹介してもらえなかった。理系の人って結構マニアックな仕事だから、自分以外にも転職に困っている人っているんじゃないかと思ったんですよね。近い業界への転職だったらまだいいんですけど、ちょっと違う仕事をしてみたいと思った時とか困ると思うんです。それで、自分が転職相談を受ける側になっちゃおうと思ってなりました(笑)。
杉田:す、すごい(笑)。
西田:あとは個人で目標数字を持ちたかったというのもありますね。結構ストイックなんですけど。技術営業は、チームで目標数字を立てていたので、達成したとしても自分がどれだけ結果に貢献できたのかが見えてこない。でも、やっぱり毎日お客さんのために働いていることは明確に評価されたいと思って。
杉田:なるほど。具体的にはどんなお仕事をされていたんですか?
西田:まず、転職を考えている個人の方からの相談を受けます。今悩んでいること、今後やってみたいことを聞きながら、一緒に「次どんな仕事をするか」考えます。そのうえで企業(仕事)を紹介する仕事です。人材紹介事業と言うんですが、この事業の立ち上げから携わりました。ここでの経験は本当に自分の力になっています。でも、個人に対して仕事を紹介するという内容だったから、企業側のことが全然見えていないということに気がついたんです。企業のことを全然知らないのに、偉そうに会社のことや仕事内容を喋っているのも違うなと思って、「組織コンサルティング」というコンサル業界に入りました。もともと私は人材業界にいたので、採用を切り口にした社員教育を提案するようなお手伝いをしていました。あとは社員間のコミュニケーションギャップを解決する仕事とか。飛び込み営業も提案営業も研修講師も全部自分でこなす毎日……加えて新規事業の立ち上げをそこでも任されたので、さすがに過度な労働で体を壊しまして……そんなタイミングでお客さんから飲食店の経営をやってみないかという誘いを受けたんです。当時は起業したいというマインドもゼロだし、こんなお話でもなければ飲食店経営することなんてないから、これはおもしろいなと。それでお話をお受けしてうどん屋の女将になりました(笑)。
杉田:うどん屋の女将!? 今までのキャリアとはかけ離れた分野ですよね。
西田:そうですね。お店の空間デザインとか店づくりをゼロからやりました。
杉田:企業からうどん屋という個人経営に移るときの不安はなかったんですか?
西田:結構前の会社でやりきった感はあったんですよね。それ以上、キャリアアップや出世するのもイメージできなくて…。あとは会社に属さず自分で稼ぐというのも経験したいというのもあって。失敗したとしても、世の中に仕事なんていくらでもあるし、どうにかなるから挑戦してみようという気持ちでした。こわかったですよ。でも、自分の性格上、常に足りないもの(経験)を補填していきたいというのがあるんですよね。
杉田:ここまでお話を伺っていてそのことはよく伝わってきます。
西田:本でいくら勉強しても実際に仕事にしてみないとわからないことってたくさんあるから。本当に学歴も資格もないし、何で補えるかって考えたら経験かなと。
「働くことへの価値観を変えてくれた、うどん屋での経験。」
杉田:なるほど。うどん屋の女将はどれくらいやられていたんですか?
西田:もともと、やれても3年ですよと言っていたんですよ。結局3年半くらい続けました。あ、お店はまだありますよ。まる7年潰れずに。我ながらすごい!(笑)。そしてこの3年半が人生のターニングポイントにもなっています。というのも、うどん屋が商店街の中にあったので、まちづくりを勉強しようと思ったんですよ。たまたま休みの日に受講できる丸の内朝大学のソーシャルデザイン学を見つけて、これだ!と思って申し込みました。先生だったgreenz.jpやBAUMの方からだいぶいい刺激をいただきました。
杉田:商店街のまちづくりを学ぶなんて、今までと全然ちがう…
西田:なんにも知らなかった(笑)! そこでまちづくりもそうだけど、色んな人の働き方とか、働くことに対する価値観を学びました。やっぱり、仕事前に早朝集まるくらいのモチベーションの高い人たちっていうのは、色んな人がいる。超一流の大手の人とか。一方、うどん屋ではフリーで編集やライターやっている人がいたり。とにかくこの3年半で色んな人に会えたんですね。働く価値観がガラッと変わった。そうしたら、greenz.jpの記事でとあるNPOを見つけたんです。そのNPOはニートとか引きこもりの人たちの就労支援などをしているところでした。人材業界のキャリアでやり残したこと……ミスマッチをなくすという自分の想いを再度目覚めさせてしまい、このNPOで働きたい! と思って気づいたら縁もゆかりもない大阪に飛んでいました(笑)。
「NPO職員、派遣社員、社員を経てフリーランスとして独立。」
杉田:今までに経験していないタイプの働くにまつわるお仕事ですね。
西田:そうですね。1年契約だったから短い期間だったけど、とても濃密な時間でした。
杉田:就労支援というと具体的に何をするんですか?
西田:そのNPOが日本茶カフェをやっていたんですが、そこで売る和菓子を作ってもらうことで、自分でお金を稼ぐことの喜びや、同じ悩みを抱える同士で支え合う大切さみたいなものを感じてもらう。つまり働くことの喜びを体感してもらい、社会復帰のきっかけを作ってあげていました。そこで1年間働いたあと、結婚をきっかけに大阪から名古屋に引っ越してきたんです。
杉田:その時、仕事というのはどういうふうに考えていたんですか?
西田:今までの話を聞いてもらってわかるように、私、仕事人間なんです。だから家庭と仕事を両立させるにはどうしたらいいかと考えて…それで、一旦自分の働く価値観を捨てて、決まった時間で働くことができる派遣社員の道を選択しました。
杉田:こういう人生を歩まれて、この選択をするというのはどんな心境だったんですか?
西田:うーん。何を優先するかというところだと思うんですけど、その時は結婚した相手と一生を共にするということを優先してわたしなりに考えた結果、縁もゆかりもない土地でいきなりバリバリ働いて家庭と両立するのはやっぱりちょっと難しいと思って。これはこれでわりとすんなり割り切っていました。1年半経った頃、離婚して自由になって(笑)、そのときにG-netさんが主催している「しごとバー」に足を運んだんです。そこにたまたま今もお世話になっている会社の役員の方とかがいて、これからどうしようか迷っているという話をしたときに「うちの仕事を手伝ってみる?」と言ってもらえて。それで最初はアルバイトで手伝うことにしました。2、3ヶ月たったころに社員になりました。
杉田:この時点で地元(横浜)に帰るとか東京に行くとか、土地に対しての迷いはなかったんですか? 名古屋に残るっていう選択が意外です。
西田:あはは。それが全くなかったんだよね。なんか、せっかくここに来て何も残せずにもったいないなと思っちゃった。住みづらい町でもないし、このまま住んでみようと。
杉田:なんかニッシーさんらしいです。
西田:だから、社員として経験を活かせる人材紹介事業の立ち上げに関わりました。それがちょうど1年経った頃に、会社から「どんな関わり方で今後働いていくかを考よう」と提案があって。わたしの性格やキャリアの歩みを知ってるから、このまま社員で……とは考えづらかったんでしょうね(笑)。何せ、あだ名は「寅さん」だし。幸い、どんな関わり方でもいいと言ってくれたんですよ。そもそも会社がやっていることは、合同企業説明会などの主催もしていて、学生を新卒一括採用のレールに乗っけるような仕事だから、疑問を抱いているのも正直あって。とはいえ、現実の就活の世界も知りつつ、自分の想いも実現できるような、すごいいいチャンスだなと思いました。社員ではなく、フリーランスとしてやれることを模索するかたちで今に至ります。ワガママを聞いてくれた会社には感謝しかありません。
杉田:濃密な16年間……すごく盛りだくさんだけれど、全てのことが繋がっているのがおもしろいです。
〜<後編>に続く〜
後編では現在のお仕事や、今回のイベントへの意気込みをお届けします!
ニッシーさんのHPはこちら→https://www.6oo3in.net/
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