【岐阜・関ヶ原】関ヶ原ウォーランド/観光名所

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我こそは武田信玄の亡霊じゃ!!

もう争いはやめい!

ノーモア関ヶ原合戦じゃ!

 

 

あれから四百年が経ちました。

日本を二分して争った関ヶ原合戦でさえ、時代が流れるに従い風化していきます。

当時を生きた人がいなくなっていくのですから仕方がないとは思いますし

見たままを正確に伝えること自体とても難しいことです。

例えば「屈強な武者」という言葉から、どんな顔でどんな体つきなのか、

ヒゲはあるのか無いのか、思い浮かべる姿は人によって様々だと思います。

 

 

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しかし、当時のありのままを正確に伝えられないのは仕方がないとしても、

まさかウォーランドという形で残されるとは

大将である徳川家康も石田光成も思ってもみないでしょう。

まさか甲斐の虎と恐れられた武田信玄が亡霊として現れ

「ノーモア関ヶ原合戦」と伝えに来るとは信玄本人も思ってもみないでしょう。

まさか合戦を戦った武将達が色白に塗られるとは自分達も思ってもみないでしょう。

もしも武将がウォーランドを見たらおそらく

私達が海外ドラマに出てくる日本のイメージに何か違和を感じるのと

同じような気持ちになるのではないでしょうか。

 

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不破郡関ヶ原町にある関ヶ原ウォーランドは

1964年に開館した関ヶ原合戦をコンクリート像で再現した体感型資料館です。

コンクリート像は浅野祥雲(1891~1971:岐阜県恵那郡坂本村(現中津川市)出身)という造形作家の手によって作られ、その数は二百体を超えます。

 

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コンクリートにペンキで彩色をする技法を使っているので劣化が早く

そのため年に数回ボランティアを集めて像に彩色を施すイベントを行っています。

また、ランド内は関ヶ原合戦の様子を伝えるラジオドラマが

かなりの音量でエンドレスに流れています。

他にも唐突に輪投げがあったり戦国ストラックアウトがあったり

由来は恐らくないであろう戦観音(いくさかんのん)が祀られています。

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大量かつ色白で、クオリティもまちまちな武将のコンクリート像に囲まれて、

途中から聞いてもよく分からないラジオドラマに包まれて、

よく分からない変な夢でも見ているかのような気分になります。

この言葉にできにくい気持ちをぜひ皆さんにも味わってもらいたいです。

 

 

最後にウォーランドの入り口前の石碑に刻まれていた

「あゝ関ヶ原」という歌の三番の歌詞を記して終わりたいと思います。

 

風が動けば時代が変わる

人の心もくるくる変わる

天にあづけた男の勝負

祈るノーモアあゝ関ヶ原

 

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関ヶ原ウォーランド

http://www.rest-sekigahara.co.jp/war_land/

2015年09月26日作成
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