【岐阜】おとなの学校 「岐阜の始まりと怪き都市計画vol.2」/カンダマチノート

毎月最終水曜日はカンダマチノートの2階では「おとなの学校」が開校されます。

様々な分野で活躍される方が一夜限りの先生、生徒は“おとな”です。

32時間目の教壇に立つのは、岐阜大学工学部准教授・美殿町ラボ代表の出村嘉史先生。本物の大学の先生です!

この日の科目は“おとなの歴史”で、お題は「岐阜の始まりと怪き都市計画vol.2」。

vol.1 では話が盛り上がり、岐阜が成立したところで時間切れで、今回はその続きから。

明治40年頃から、昭和初期までの岐阜のまちの成り立ちをレクチャーしていただきます。

教室にはたくさんの生徒さんが集まりました!

顔見知りの生徒さんも多いようで、授業開始前から賑やかです。

まずは、vol.1に出席できなかった生徒さんのために、出村先生の自己紹介と前回の授業の復習。

出村先生は現在、岐阜大学の工学部で教鞭をとっておられます。

京都で景観工学を学んだのちに、イギリスへ渡り、地方の豊かさに気がついたといいます。

この頃から都市論への違和感を感じており、よさそうな地方への移住を考えていたところ、ひょんなことがきっかけで、岐阜へ。都市の歴史を勉強し始めたそうです。

 

授業のテーマでもある“都市計画”という言葉。

専門外の私たちには、なんだか分かるようで分からない概念ですよね。都市計画の考え方は、産業革命の反動で生まれた概念で、産業革命の際に過密化した人口を分散させるための方法として生まれました。

前回の授業は明治時代に東京でしか許されていなかった市区改正を、岐阜は勝手に押し進めたという驚くべき事実が明かされたところで終業となりました。

さて、今回の授業の本題はここから。

日本では大正時代に国道など都市計画の大動脈は整い、毛細血管である支流を作る時代がやってきました。都市計画はマニュアル型。それを実現させるための技術者を育てる教育がなされます。

 

昭和に入り、政府は初めて地方に目を向け始めます。大正時代に築かれたマニュアル型の都市計画のまま、戦後の復興がなされ、標準設計の日本が作られていきました。岐阜で言うならば、オーダーメイドの時代は昭和23年に架設された忠節橋で終焉を迎えたのです。1900年代には大都市周辺では人口が急増しました。人口が増えると真っ先に問題になるのが食糧不足。国は耕地整理法を定め、耕地を改良しようとしましたが、地主たちは農地を整理するように見せかけて、市街地の開発をします。

こうして、都市拡張に備えて日本でも都市計画法が必要になり、岐阜も市区改正に着手することとなりました。

そして、岐阜を揺るがす大きな出来事が起きたのはの1887年こと。

なんと、岐阜駅ではなくて「加納」駅ができてしまったのです!!

これには岐阜の町衆は大慌て!駅前の拠点が大阪にのっとられたらどうしよう…といったあらぬ噂までたちはじめます。

どうにかして岐阜駅を勝ち取ろうと、岐阜の有志者は政府にはたらきかけ、見事岐阜駅を勝ち取りました!

発注者が“民”、請負が“官”という従来とは異なる構図で進められた岐阜の都市計画の背景には、町衆らの圧倒的当事者意識と、流通の便をはかり、商工業のまちをつくるという明確な目標あったのです。

その後、再び市区改正が実施されます。第2次市区改正の事業費の一部は、美濃電鉄の寄付で賄われ、岐阜市と美濃電鉄の共同で市区改正が計画されることとなりました。

寄付をした美濃電鉄の狙いは、それまで長良川を利用していた美濃和紙の輸送路を整備することでした。しかし、岐阜市との間で1年間に渡って対立が続き、結局両者の折衷案が採用されました。

その折衷案でできた道路が、現在も残っている岐阜公園前の鉤の手状の道です。

だからあのような不思議な曲がり方をしていたのですね!

教室からは、「へぇ〜!そういうことだったのか!」と驚きの声が上がります。

馴染みの地図に、その地域の歴史が重なると、なんだか昔のことが身近に感じられてきておもしろい!

こうして、電気軌道が開通すると、旅客が急増しました。

有志者たちは、観光客の吸引を目的として、金華山の山頂に岐阜模擬城を建設!

すると狙い通りたくさんの人々がここを訪れ、これを機に岐阜市は再び岐阜公園に着目するようになりました。

「近代都市で工業を諦めると大体観光に走るんですよね(笑)」と出村先生。

教室からも納得の声とともに笑いが起きます。

続いて、1925年から21年間もの間、岐阜市長を務めたキーパーソン松尾国松の登場。

岐阜市における初期の市区改正による都市計画は、活力と多様性を生み出す方法でした。都市拡大が前提となった20世紀初頭から半ばにかけては、都市計画は拡大する市街地をコントロールする鎮めの方法として最適だったのです。

ここで、授業冒頭に登場したジェーン・ジェイコブスのモデルが再び鍵となります。

ジェイコブスは「交易の場所こそ都市である」と述べました。古代の都市には取引する場の跡が残っています。

岐阜市のスタート時の狙いは「市(market)」の形成でした。

出村先生は都市が形成されるのは「市」ありきのことであるといいます。

「サンビル(サンデービルヂングマーケット)はまさに市ですね!サンビルをやりましょう!(笑)」と現代へと話を展開します。

出村先生が考える本当のおしゃれとは「あるものを活かすこと」。

例えば、

柳ヶ瀬のアーケードの読み替えは大学の廊下、

空き家、空き店舗は教室というように。

出村先生は実際に2016年、美殿町の矢沢ビルの一室に研究室を作りました。

全国的にもリノベーションの事例は増えてきており、長野や京都の事例が注目を浴びています。

「都市計画の話から大分小さくなったように見えますが、都市計画の前に何かを湧き起こすことが必要。オーダーメイドで作ることが大事なんじゃないかな。」と授業を締めくくりました。

 

「岐阜市は衰退しているように感じますが、これからどうやって発展していくのでしょうか?」という生徒さんからの質問に出村先生はこう答えました。

「きっかけは市(market)でも観光でも良いですが、生きた資源を活かしながら次の展開へいく必要があります。何かが興るという機運を作っていかなくてはなりません。やるべきことはサンビルです(笑)インフラはもう整っているので、人を集めなくてはなりません。・・・今あるものをどうながらえるかではなく、オーダーメイドを作ることが大事ですね。」

岐阜市の歴史を聞いていたはずが、いつの間にか話題が自分ごとに感じられてくるから不思議です。背景を知ると、いつものまちがまた違って見えてきますね。

出村先生、興味深い授業をありがとうございました!


おとなの学校

と き: 毎月最後の水曜日 19:00〜21:00

場 所: カンダマチノート2F

授業料: 800円(1ドリンク)

定 員: 約20名

Facebookページ:https://www.facebook.com/imanarakikeru/?ref=ts&fref=ts

2017年04月30日作成
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